| シリーズ だい37わ |
| 「当常院玄海のたたり」 信州新町日原 |
牧野島にお城があって殿様が住んでいた頃の話である。当常院玄海という有名な和尚が諸国行脚の途中幾日間か大原に滞在していたそうである。この玄海和尚はなかなかほら貝を吹く名人で、このほら貝の音をききたいばっかりに夕方になると附近の百姓達が大勢大原まで押しかけて来た程であったという。この噂をきいた牧之島城の殿様も是非一度その玄海のほら貝をききたくなり、ある日こっそり城を抜け出しほら貝を聞いていた。しばらくしてから殿様は顔を真赤にし、そして真青になり、突然大声で家来を呼び寄せ「対岸でほら貝を吹いている乞食坊主の首を取ってまいれ!!」と命じた。命令された家来はどうして首をとらねばならないのかさっぱりわからずききかえすと、玄海の吹いているほら貝は「国崩し」の曲といい、お城にとっては大変縁起が悪く、またお城をのろっている曲とのこと。さっそく首をとりに行ったが、玄海はいち早くこれを察し逃げたあとであった。しかし土地に詳しい追手はじきにおいつき、埋家の頂上で玄海の首を切り落としたのである。すると、今まで晴れていた空がにわかに曇り真暗になり首を切った山の頂上が真二つに割れ、しばらくの間玄海の泣き叫ぶ声があたり一帯になり響いていたという。この時二つに割れた山が牛首と泣鯉の二つの山であると伝えられている。 さてそれから何百年か過ぎ、大原のある家で新しく家をたてたところどうも家に不幸が続き、上州のある有名な易者にみてもらったところ「これは昔、この土地で国崩しのほら貝を吹いたばかりに殺された当常院玄海の滞在していた屋敷跡であるがためのたたりである」とのこと。さっそく玄海の首が埋められたという埋家の大きな松のもとに地蔵尊を祭ったところ、二度と不幸が起きなかったという。それからというものこの地蔵尊は当常院地蔵尊と呼ばれつい最近まで参拝人があった。 作 信州新町史 信州新町史編さん委員会 え 倉石 和彦 |